2012年4月30日月曜日

ロートレックが描いた女たち:Hearts And Numbers:So-netブログ


2月9日(土曜日)

 「ロートレックが最も輝いていた晩年の10年間を中心に油彩画、版画、ポスター、デッサン、そして彼に影響を与えただろう日本の浮世絵までをも取り揃え、空前の規模と謳われるロートレックの展覧会が、東京六本木のミッドタウンに昨年オープンしたばかりのサントリー美術館で1月26日から3月9日までの会期で開催されている。ロートレックが大好きな僕がこれを見逃すわけにはいかないと、ちらほらと小雪舞う中、喜び勇んで出掛けて来た。

 しか~し、直裁に云ってしまうと、ちょっと期待外れだったかも。全体のバランスとして、油彩が少なすぎたんじゃないのかなぁ。僕は彼の油絵が好きなんだよねぇ・・・。

 加えて今回の展示の内容は、2001年2月に今はもうなくなってしまった池袋の東武美術館で観た「没後100年 トゥールーズ=ロートレック展」と重なる作品も多く、何だか焼き直しのような印象を受けてしまったのだ。これはポスターや版画で大きな成功を収めた特異な画家、ロートレックならでは(要は唯一無二の油彩と違い、ポスターは作品が量産されている)と云う事情もある。それに、実はその「没後100年展」も大阪開催はサントリーの天保山ミュージアムで行われたもの。つまりは2つの展覧会は主催が一緒だったってことなんだもの、僕が感じたことは致し方無い部分も大きかっただろう。そもそも、僅か36歳で夭折してしまった画家であり、遺された作品も元より決して多くはない(※注1)のだからね。

 「それにしても、ロートレックに描かれるのは、女性にとって酷なことよね。ちっとも綺麗に描こうって気がないんですもの」。これは、僕の友人が『黒いボアの女』(写真トップ-展覧会ちらし)を眺めてこぼした言葉。ふふふ、確かにそうですね、女性にはこの描かれ様は辛いかも(^^;。ただね、ロートレックはあながち、過剰なデフォルメを効かせ過ぎていたわけでもなかったみたいなんだな。
 今回の展覧会で僕が面白いと思ったのは、いくつかの作品に、モデルとなった女性の写真をご親切にも(?)添えていてくれたこと。それは、ロートレックの素早いデッサンが、如何に的確に対象の特徴を掴み描かれているかの証明のようなもので、今までは描かれていた女性たちに少々同情的だった僕の見方はちょっと違って来てしまった。

 以下にロートレックの作品と、そのモデル達の写真を並べてみます。さて、皆さんはご覧になって如何思われるかな?。

『ムーラン・ルージュ、ラ・グリュ』(1891) サントリー・ミュージアム天保山蔵

 ご存じ、ロートレックがこの分野で最初の成功を収め、彼の名をパリ中に轟かせることとなったモンマルトルのカフェ、ムーラン・ルージュのポスター。描かれている女性はダンサーのラ・グリュ。この名は「大食い」と云う意味のあだ名で、本名はルイーズ・ヴェベール(1870-1929)と云い、アルザス出身の彼女はダンサーになる前には洗濯屋で働いていた。彼女はここでの自身の描かれ様が気に入らず、ロートレックに文句を云ったそうなのだが・・・。


フォールズチャーチ、バージニアで踊る

 こちらがそのラ・グリュの写真。
 どうだろう。こうして見比べて、ロートレックは非難されるほどに彼女を滑稽に描いているだろうか?。殊更にデフォルメを加えて、彼女の特徴を実物から遠ざけてしまっているだろうか?。

 ロートレックの人生を描いた映画『葡萄酒色の人生』(1998)の中でも、彼女は「こんなふうに私を描きやがって!」と悪態をついていたけれど(もちろん役者がセリフとしてね・・・^^;)、なかなかどうして、僕にはロートレックが描いた彼女は随分とチャーミングに手加減(笑)されているようにも思えるのだ。動きの激しいシャープなダンスのイメージとは違って、ぽっちゃりとした女性だったんだね。

『ムーラン・ルージュの女道化師』(1897) 個人蔵

 一方、こちらも何点もの作品に登場するロートレックお気に入りのモデル、女道化師のシャ・ユ・カオ。
 ロートレックが描く彼女は、ちょっと身体の線も崩れ始めた中年女性と云うイメージなのだけど・・・

 添えられていた写真は3枚あって、これはその内の1枚。随分と若い頃の写真なんだろうことを差し引いても、なかなか魅力的な目元だと思うのは僕だけだろうか。

ベルト・バディ(1897) トゥールーズ=ロートレック美術館蔵

   この絵のモデル、ベルト・バディはベルギー出身の女優で、ロートレックは彼女の力強い眼差しに惹かれ、「生命力に溢れ、力強く、両目はインク壺のようだ。彼女は夜、人知れず泣くことが時折あると言っている」との記述を残している(本展図録P142より引用)。

 「インク壺のような眼差し」とは見事な表現。ちょっと写真より絵の方が老けて見えるけど、ロートレックの記述と絵を重ね合わせると、まさに彼が感じたままに描かれているのだと、誰もが納得出来る筈。

『マルセル・ランデール嬢の胸像』(1895) 個人蔵

 マルセル・ランデール(1862-1926)は16歳から女優として活躍し、この絵に描かれた33歳頃はヴァリエテ座で上演されたエルヴェのオペレッタ『シルペリック』に出演。見事なファンダンゴやボレロで観衆を大いに魅了して大当たり。公演は100回にも及び、ロートレックもすっかり夢中になって彼女を目当てに劇場へ通いつめ、結局20回以上もこの舞台を観たのだと云う。もっとも彼が夢中になっていたのは彼女の背中で(笑)、「僕はランデールの背中を見る為に通ってる。それに注目していると、これほど素晴らしいものは他にないんだと気付くんだ」なんて語っていたそうで、実際にボレロを踊る彼女の後ろ姿を版画で作品※にしている。
 ※本展にも個人蔵のものが出品されていたほか、東京ブリジストン美術館にも収蔵作品あり。


モーリス·センダックは何の本を書きました

 ロートレックが夢中になったと云うのも肯ける美形。

『ルネサンス座にて、「フェードル」のサラ・ベルナール』(1893) 個人蔵
※作品の一部を抜粋

 サラ・ベルナール(1844-1923)の名前にピンと来る人はよっぽどのフランス演劇通か、それとも大概はこの人の絵のファンだろう。

 そう。ミュシャの手掛けた最初のポスター『ジスモンダ』(1894)に描かれている女優こそ、サラ・ベルナールその人なのだ。

 この写真はまさにその『フェードル』に出演中のサラの衣装姿。図録には、ロートレックは結局この大女優からはなんの霊感も得られなかった、なんて書いてあるけど、確かにあんまり力は入らなかったみたいだね・・・(^^;。

『ジャヌ・アヴリル』(1893) サントリー・ミュージアム天保山蔵

 ロートレックの良き理解者、ジャヌ・アヴリル(1868-1923)は高級娼婦とイタリア貴族の子としてこの世に産み落とされ、貧しく不遇な内に育ち、やがて踊り子となった。ムーラン・ルージュでラ・グリュらと一緒に出演したことをきっかけに人気を博して行った彼女はロートレックの大のお気に入りモデルで、ジャヌ自身も友人ロートレックの作品に描かれること楽しんでいたようだ。
 シャンゼリゼに誕生した新しい店、カフェ・コンセール(経営はムーラン・ルージュと同じくシャルル・ジドレール)に自身の出演が決まったジャヌは迷い無く、宣伝広告の制作をロートレックに依頼する。そうして出来上がったのがこのポスター。

 それにしてもアンリ、君はどうして仲の良い友人であるジャヌの顔を、いっつもしょっぱいものでも舐めさせたように描くんだい?。
 気の好い娘、ジャヌがロートレックのポスターに描かれたのは25歳。まだまだ若いオンナノコがこんな顔にされてしまっては・・・と、僕の方がよっぽども気の毒に思ってしまう。せめてもう少し、可愛く描いてあげられなかったのかい?(苦笑)。
 それでも、彼女のポスターは100年以上が経った今でもこうして評価されているんだから、芸術に理解が有ったと云うジャヌは、きっとこの結果を喜んでいるのだろうね。

『イヴェット・ギルヴェール、ポスターの原案』(1894) トゥールーズ=ロートレック美術館蔵


英国の歌、 (年頃1940)私は何をするかです

 お次は、こんなロートレックの描き方に我慢がならずに、残念ながら、歴史に残る芸術作品のモデルになりそこねてしまった世紀末の人気歌手、イヴェット・ギルヴェール(1865-1944)のお話。
 そもそもはギルヴェールから持ち掛けられた公演告知のポスターの依頼であったが、この原案図をロートレックから見せられた彼女は戸惑い、仰天してしまった。「どうかお願いだから、私をこんなにも醜く描かないで下さい!、もう少しお手柔らかに!。私の家でこの下絵を見る者の多くが声を荒げます。・・・全ての人が芸術面から物事を見られるわけではないのです!」そう書いた抗議の書簡をロートレックに送りつけたものの、彼女はもう既にこの仕事に於いては、ロートレックを選べなくなってしまっていた。

 結局ギルヴェールが選択したのはテオフィル=アレクサンドル・スタンランと云う違うポスター作家が制作したこの作品(1894年作)だった。ロートレックと較べて芸術性が云々よりも、やはり女心は正直なもの。彼女の胸の内はよーく解るよね。ロートレック・ファンの僕でもこっちを選ぶと思うもん(苦笑)。しかし、彼女の特徴をより確かに捉えているのはやはり・・・。

 ギルヴェールは決してロートレックの作品を理解していなかったわけではなかったと云う。現に1894年に出版された彼女がモデルの版画集『イヴェット・ギルヴェール』は大変に評価していたそうなのだ。しかし、限られた美術愛好家の為の版画集と、街中に溢れるポスターとでは人目に付く状況が違いすぎる。彼女の気持ちは、どうあっても耐えられなかったのだろう。これを以て芸術を理解し得ない、と彼女を断ずるのはあまりに酷と云うものではありませんか。



 ここからはこの展覧会とは関係のないおまけ。
 ロートレックが愛した女性たちは果たしてどう描かれていたのか、ちょっと気になるでしょ?(^^。

『シュザンヌ・ヴァラドンの肖像』(1885)

 シャバンヌやドガにもモデルとして登用され(※注2)、ルノワールのお気に入りだったシュザンヌ・ヴァラドン(1867-1938)は彼の『都会のダンス』のモデル。もちろんロートレックの恋人でもあった恋多き女性。音楽家のエリック・サティも彼女に散々振り回されたんだって。

 こちらはルノワールの描いたシュザンヌ。二人が描いた彼女の顔立ち、表情の違いに、戸惑う方も居られるやも知れない。

 そして素顔のシュザンヌは、こんなふうに意思のはっきりとした、負けん気の強そうな顔立ちをしていた。穏やかで美しいミューズのようなルノワールのシュザンヌに対して、ロートレックは虚飾のない素直なデッサンを用いて、ありの儘の彼女を描いているのが良くお解り頂けることと思う。

 最後にもう1人、ロートレックがもっとも愛した女性。


『画家の母、アデール・ド・トゥールーズ=ロートレックの肖像(マルロメ館での朝食)』(1881-83)

 彼にとって、誰より特別なこの人を描く時、彼の眼差しもまた特別な柔らかさ、優しさを持って向けられていたことだろう。彼女の写真は僕も見たことがないので、実際のことは分からないけれど、ロートレックは誰を描くよりも、この人を一番に美しく、清潔で気高い女性として描いているのは間違いがないと思う。道化を演じつつも、もう一方で自らの人生を悲観していたロートレックにとって、彼女は終生のサンクチュアリ、マリアで在り続けた女性だったのだ。



※注1)
 後日記、と云うか、事実誤認による訂正です(^^;。

 よく調べもせず「36歳で早世」と云うイメージで「遺された作品が少ない」などと書いてしまいましたが、ロートレックは決して寡作な画家ではなく、終生に油彩737点、水彩画275点、素描5084点、石版画及びドライポイント337点、ポスター31点を制作しています。このblogを書いてから、およそ10年振りに『ロートレックの謎を解く』(新潮選書-高津道昭 著)を再読したのですが、巻末「おわりに」の232ページにその旨記載がありました。
 これは油彩の737点のみをとっても、本格的に絵を描き始めた16歳からの実働を約20年間として単純計算すれば、およそ月に3枚、10日に1枚の制作ペースとなります。決して少ない数字ではありませんね。いい加減な事を書いてスミマせぬ・・・(^^ゞ。




※注2)
 シュザンヌ・ヴァラドンはドガのモデルではなかった、とする説も存在するようだ。

   ドガは苛烈なまでに辛辣な人間であったのは確かとしても、ジュリー・マネ(ベルト・モリゾの娘)の日記にも記述があるように、特定の人物には周囲の評価と真逆を思わせる面倒見の良さを垣間見せることがあり、どうやらシュザンヌに対しても、優しく励ましてくれる温かな"師"であったようだ。

 シュザンヌの人生を伝記小説スタイルで描いた『シュザンヌ・ヴァラドン その愛と芸術』(ジャンヌ・シャンピヨン著、佐々木涼子、中條屋進 訳 : 西村書店)を読むと、シュザンヌはドガのモデルになったことはなく、巷で噂されていたような"クロッキー以上の関係"など有り得ず(要はシュザンヌはドガの前で服を脱いだことなんて無いって事)、あくまで絵画の師弟関係だったと述べられている。実際、今回僕が本やネットで調べてみても、具体的にどの作品でシュザンヌがドガの為にポーズを取ったかなどは分からず終いだった。



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